年頭から新聞社説が政治課題をどのように取り上げているか関心があり、数社の社説を読んでみました。年頭だけに、大局的に論じているからでしょうか、わかりやすく、現時点で何が課題かを展望できる記事が多くあったと思います。たいへん参考になりました。政治論説の基本だと思えるものもありました。
政治関係の社説、政局・政界記事などを読むときによく思うことがあります。
政局の事実経過や法律案の審議経過についての記事などのほか、社説、コラムなどの記事でもポイントを絞って読者に対して簡明にわかりやすく解説する内容のものもあります。
しかし、たとえば、国会で争点となる国政上の事案などについては、それが国会ではじめて取り上げられ、報道がどのように記事にしてきたのか、そのはじめからの経緯がわからないと、いくら記事にして問題を提起しても、途中からではよくわからないことも多いのではないかと思います。法律案にしても同じことが言えます。
争点となった事案の議論、追求が深くなってくると、継続してその事案に関心を持っていないと流れが掴めなくなる場合もあります。はじめはわかっている問題であっても、長期化してくると、新しく問題にされていることや何が問われているのかはっきり掴めない場合もあります。そして、「ああ、あの問題か、まだやっているのか。」ならまだしも、「いつもいつもこんな議論ばかり、嫌になる、もっと国会らしい議論ができないものか」といったことにまでなってしまう場合もあるかと思います。そうなるとその争点について、遡って事実経過はどうであったかとか、どのように賛否の議論がなされていたかなど確認することができなければ、そのときまでの報道等から受けた「印象」だけで判断するようになっていく傾向もあるのではないかと思うときがあります。
私たちは、職業上政治に関係しているとか、時事問題に日常的に関心のある人はともかくとして、一般的な社会人は、常に政治のことを考えて、また政治動向を追いかけて毎日を過ごしている人ばかりではないと思います。仕事、学業、生活に追われる毎日を過ごしている人も多くいるのです。
政治的関心の高い人もいるでしょうし、時事問題には多少疎くても自己の政治的な考えをしっかり持っている人、いろんな人がいます。しかし政治に無関心だからということではなく、仕事、学業などを抱えながら、日常的に時事問題への関心、政治的関心を持ち続けることが困難な人は多くいると思います。
そして、政治は難しい、政治問題は難しくてわからない、どういう政治的立場に立つべきかわからない、政治的な考えが乏しいなどなどの先入観ができあがり、わかりたくてもわからない、いや、わかりづらい、他人と政治問題で議論ができないなどと、思わなくてもいい思いをして、政治の世界から引き下がろうとする人も多くいるかもしれません。
かつて、教育について一億総評論家と言われたときがありました。教育問題は身近な問題で誰でも一家言あるということだと思います。しかし今はどうでしょうか。教育問題、課題も多岐にわたり、制度の仕組みなどについてそれなりの知識がないとわかりづらくなってきたのではないでしょうか。同じようなことが政治についても指摘できるにではないかと思います。選挙制度の仕組み、またかと思うくらいの小党分立、選挙の都度新旧交代が激しくて誰がどの政党の政治家かわからないこともある、国会で争点となる事件・不祥事・または不祥事とされてしまう事案などなどが次から次で、意識して関心を継続していなければわからなくなるなど、政治について語ろうとしても素人政治談義もできなくなってしまうかのような政治の情報環境。
政治は専門家だけが語るものではなく、政治は難しいと敬遠していた人も含めて、争点となっている政治問題、政局をわかろうと思ったときにわかることができるような方法、手段があればと思うことがあります。
それには一番手にしやすい新聞報道が最も役に立つのかもしれません。
政治は難しい、評論家、学者、専門家に任せるしかないだろうと思っている人たちに、そうではない、政治は難しくない、専門的知識がなくてもわかると目を向けさせることができる可能性があるのが新聞報道かもしれません。
長くなりましたが、争点についてわかりやすい政治記事、議論・追及が長期化した争点について途中からでも理解できる情報があればと思います。年頭からの政治課題について論じた社説を読むと、何が問題とされているのか、それについてどのように考えていけば良いのか、わかりやすくヒントをくれる内容のものが多くあり、「これが政治論説だ」と思ったものですから。
下記は、今年の政治課題を取り上げた新聞社説のいくつかを簡単に整理したものです。喫緊の政治課題を整理するのに参考になりました。なかには、もっと紙面が許せば、さらに詳しく切り込んでもらいたいと思うくらい、「これぞ政治社説」と思うような記事もありました。
〇1月1日
〇滋賀報知新聞の社説は、年頭に誓う「民意を反映する選挙制度復活へ」と題して、絶対多数である自公政権下での法案審議のあり方に民主主義の廃退、と懸念を示し、小選挙区制は民意が反映されていない、死票が少なく民意が反映される衆院中選挙区制度復活を訴えるなどと主張。
◯朝日新聞の社説は、「政治改革30年の先に 権力のありかを問い直す」と題して、二大政党の実現性や小選挙区制の現状についての懸念と今後の課題、また空洞化などと称される国会の現状への懸念と国会の行政監視のあり方について述べ、解散権の行使再考などの課題について言及。
◯読売新聞は、「米中対立の試練に立ち向かえ 新時代に適した財政・社会保障に」と題して、主に国際関係と日本のあり方などについて課題提起、国内政治については、読売新聞社世論調査にあらわれた国民の気持ちをどう払拭するのか夏の参院選で与野党は具体策を示してほしいと提案。
◯日本経済新聞は、「不確実性にたじろがず改革進めよ」と題して、国際関係と日本のあり方などについて課題を提起、そして、国際社会のなかでも日本の社会的、政治的な安定は突出した存在とし、資本主義や民主主義の価値を守ることの必要を提案。
◯毎日新聞社は、「次の扉へ AIと民主主義 メカニズムの違いを知る」と題して、
AI(人工知能)と民主主義との緊張関係、フェイクニュース、社会分断、AIに対する無防備などからの民主主義の脆弱性を指摘。
〇1月3日
〇日本経済新聞は、「(平成の次へ)政治秩序かえた制度を改修する時」と題して、平成の改革であった小選挙区比例代表並立制の導入と省庁再編に伴う内閣主導について、さまざまな問題が出てきており平成の改革の改良がポスト平成の政治テーマだとして、選挙制度のゆがみ、「強すぎる官邸」、「弱すぎる野党」などについて問題提起し、政権交代可能な二大政党制の課題、国会改革についても言及。
〇福島民報は、「 【7年目の安倍政権】国民への姿勢を問う」と題して、一強体制による強気の政権運営が目立つ、新年は分かりやすい説明に徹する姿が一層、問われると主張。
〇山陽新聞は、「2019政治 長期政権の真価問われる」と題して、「安倍1強」と言われる官邸主導、政策決定の不透明さ、国会論議の軽視などについて問題を提起し、強力な存在がいない野党にも疑問を呈し、巨大与党への対抗のため力を合わせて対立軸を示すことを主張。
〇茨城新聞は、「政治展望 問われる最長政権の是非」と題して、「1強体制」は、国会軽視や官僚組織の劣化などの弊害が指摘されるとし、政権をどう評価するかなど参院選はその是非が問われると主張。
〇1月5日
〇中日新聞は、「「改革」の影を直視して 平成と政治」と題して、平成の30年間は政治改革の時代でもあり、一定の成果を上げたことは否定しないとするが、近年弊害がひどくなっているのも事実と指摘。国会での与野党のあり方にも疑問を呈し、熟議より選挙、政策本位とはとてもいえないと懸念。そして、多様な民意を切り捨てることで成り立つ小選挙区制の弊害も言及し、平成の政治改革が始まって二十年以上が経過するが、改革の弊害があるのなら改善策を考えなければならないと主張。
〇朝日新聞は、「「選挙の年」に考える 政治規範取り戻すために」と題して、今年は政治のありようが問われる大事な「選挙の年」、衆参同日選の観測が消えないが、解散権の私物化は許されない。「1強多弱」といわれるなか、連携を強化し政権とは別の選択肢を示せるか、野党の真価が問われる、翻訳出版された『民主主義の死に方』を引用して、競い合う政党が互いをライバルとして受け入れる「寛容」、政治家が権力を行使する際に節度をわきまえる「自制」、法令には書かれていないこうした政治規範こそが、民主主義を支えてきたと述べる。
◯終わりに
小選挙区制の問題、内閣機能の問題、野党のあり方の問題、国会の問題、そして今年の参議院通常選挙というところに論点は集中しますが、平成にはじまる政治改革にはまだ終わりがなく、バージョンアップが必要ということになるかもしれません。社説のような政治論説は一般的にわかりやすい内容のものが多いと思います。しかし、争点が長期化した事案などについての記事は、その経緯を追っていないと途中からではわかりづらくなる内容のものも出てくると思います。政治の争点を印象で語るのではなく、より正確な情報をもとに語ることが容易になればと思います。情報をいかに自分のものにするか、個人の問題かもしれませんが、、、、、。
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